2009年11月10日火曜日

辞退の理由 - 完全なる証明

なぜグリゴリー・ペレルマンが、フィールズ賞をはじめとする数多の賞を辞退しつづけたのか。
グリーシャにとってフィールズ賞も一〇〇万ドルの懸賞金も、むしろ不遇度を上げるための道具立てに過ぎないのだ。どちらも自らの証明の証明には少しも貢献しないのだから。
「説明させ、それに耳を傾けること」だ。これこそが、グリーシャが求め、そして得るべき報酬だったのだ。
耳を傾ける人は、誰でもよいというわけではない。説明を理解できる人でなければならない。不運なことに、問題が高度になればなるほど、耳を傾けられる人は少なくなっていく。そんな数少ない人の一人が、マイケル・フリードマンである。ペレルマンの業績を最も評価し寿ぐべき立場にいる人だが、フリードマンはペレルマンの仕事を、トポロジーにとって「ちょっと残念なこと」だと述べ、ペレルマンがその分野で最大の難問を解いてしまったせいで、いまやトポロジーは魅力を失い、結果として「今いるような才能あふれる若者たちは、もうこの分野からいなくなってしまうだろう」と。

 これで打ちのめされぬだとしたら、研究者ではない。

意味が理解できないが、数学者の孤独感を見た気がする.理解してほしい人の評価のあり方.確かに難しい.「わかる人」にわかることを拒絶されることは、そうでない人にそうされるより遥かにダメージが大きいのだ.

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